youの手記

隙自語(隙の無い自分語り)

ポン丸のボンクから 完

UW旗に迎えられて神戸に入港した。あっという間の一か月だった。今年11月ってあったっけ。

同じ部屋のメンバーにはとても恵まれていた。無駄話で笑い合ったり、日本シリーズで巨人がソフトバンクに4タテされるのも一緒に見届けた。共同生活に一切苦を感じなかったのは彼らのおかげである。この場を借りて礼を言いたい。

 

実習の最後、一か月過ごしたボンクを掃除する。シーツをクリーニングに出し、ボンクの引き出しを全て出してホコリやゴミを掃除機で吸う。

ボンクには小物を入れる引き出しが二つある。その裏側に、このボンクで過ごした先人たちがメッセージや名札のシールを遺していくことがある。メッセージの内容は真面目に心中を綴ったものや女性に見せづらいものなど様々だ。これを見るのも乗船の楽しみの一つだ。士官も実習生の頃見ているはずだから、おそらく「歴史」として黙認されている。

自分のボンクの引き出しを見ると、過去に女性が使ってメッセージを遺していったことがわかった。日付を見ると平成10年6月。僕が生まれた年だ。「今を大事にしろ」という実習生に向けたメッセージであった。

おそらくポン丸に乗るのは今回の実習が最後。折角だから自分も何か書いていこうか考えたが気が引けた。メッセージを遺していくのは大抵海上技術短大や高専の実習生であり、大学生が遺したものは見たことが無い。

 

 下船地である神戸(三ノ宮)は大きい街だが特別やることが無い、というのが僕の大学4年間の結論だ。有馬温泉が近くにあるが早く家に帰りたいので足を運ぼうとは思わない。その日の夜行バスで東京に戻るつもりだ。

東京に帰ったら卒論とアブストラクトの提出に追われることだろう。

現実に引き戻される前の最後の抵抗として、下船日には漫喫で漫画を読むことにしている。例の感染症には気を付けつつ過ごそうと思う。

 

一か月日記のように書いてきたが、これも終わりかと思うと少し寂しい。今まで書いてきたものを読み返すと、書きたかったことをつらつら書いていたせいで乱文が多かったように感じる。少し反省している。 

そんな中でも最後まで読んでいただき感謝する。

海王丸のボンクでまた会いましょう。

ポン丸のボンクから④

乗船の楽しみの一つが寄港地での上陸だ。丸2日ほど自由時間が与えられる。

過去に寄港地として室蘭、宮古、名古屋、伏木富山に入港してきた。どの港も初めて訪れたのでとても楽しめた。それぞれの地方の名物を食べたり、観光したりして英気を養った。

しかし今回の寄港地は東京である。晴海からバス一本で行ける場所は豊洲錦糸町、東京駅など。どれも見飽きた場所だ。また地方都市に入港してきて思ったことだが、東京は栄えた街があるだけなのだ。物資補給には困らないが、特別やることが無い。

僕は卒論のアドバイスを貰いに大学に帰った。晴海からバス2本で帰れる距離だ。乗船中という実感が全くなかった。同期も何人か大学に籠って卒論に取り組んでいたようである。

また昨今の流行り病の影響で外泊は禁止。家や寮に泊まることも許されない。点検の時間までにいちいち晴海まで戻らねばならず、思ったより自由時間は少ない。

 

それでも折角の上陸なのだから満喫しなければ勿体ない。まず上陸したらファストフードを食べに行くのがお決まりだ。船のご飯はとにかく美味しい。そしてとても健康的である。そのため実習生の大半はカントリーマアムやアルフォートなど普段食べないような菓子を買いため、空き時間に食べることで「健康的」と「ジャンキー」のバランスをとっている。それでも健康的な食事を続けていると、ファストフードが食べたくなる。そこでマックやバーガーキングに行くのだ。久しぶりに食べるハンバーガーは幸せの味がする。

 

また船では真水が貴重なので、風呂では浴槽に海水をはり蒸気で加熱して入る(シャワーは真水)。時間がかかるのでシャワーで済ませる人が大半だ。そこで上陸中に温泉に行く人もいる。僕も室蘭では登別温泉に、富山では氷見温泉に行った。今回は同期と大江戸温泉物語に足を運んだ。コロナの都民割で入場料が半額だったがそれでも1300円余り。入湯料にしては少し高いがテーマパークのようなものなので仕方ない。客はカップルが大半だった。一人で行かなくてよかった。

コンテナふ頭のすぐ傍にあるので露天風呂や足湯に入ろうものならガントリークレーンのアラームが聞こえてくる。雰囲気が台無しである。というかガントリークレーンから覗けそうだったな。

 

上陸を終えると岸壁と快適な電波にしばし別れを告げ浦安沖に仮泊した。

それにしても東京湾奥の海水は汚い。少し前に仮泊した伊東の海面は深い青に染まっていたのだが、東京湾奧は緑に近い。お台場海浜公園にビーチがあったような気がするが、あの海水にはあまり触らないほうがいいだろう。

 

東京湾を足早に去り、再び伊東を経由して本州最南端の地、串本までやってきた。実習も終わりが近い。そろそろこのボンクともお別れである。

ポン丸のボンクから③

前回の記事はタイミングよく電波を掴み、錨泊中に投稿できた。

尾鷲を抜錨し、伊東までやってきた。

伊豆半島も山が海岸に迫る地形で、麓に細長く街が形成されている。標高はそこまで高くないので山腹にも建物が見える。

そもそも2日前に抜錨して伊東に来るはずだったのだが、海が荒れているとのことで2日遅れての抜錨となった。しかしそれでも海は穏やかだったとは言い難く、湾を出ていきなり大きく縦揺れし、無重力を体験した。

航海中も大きく揺れ続け、アネロンをキメなければ自分もゲロっていたはずだ。2日前に出ていればもっと酷かったようなので本棚がひっくり返っていたことだろう。

日本丸で大きな揺れ。僕は一年生の頃の実習を思い出す。あの時も日本丸だった。僕に限らず、多くの実習生が「洗礼」を受けた。「同時多発ゲロ」とはよく言ったものだ。

 

今回の当直は16~20時と(AM)4~8時、ヨンパーと呼ばれる当直だ。朝4時に仕事を始めるのがキツそうに見えるが、意外としんどくない。

車と同じように、船も夜間は電気を消して航海する。船橋にあるのは計器の明かりと海図台を照らす白熱電球の薄暗い明かりだけだ。船内は明るいのでいきなり外に出ると真っ暗で何も見えない。そのため暗順応が必要になる。夜に誤って海に転落してしまうと誰も気づかず、そのまま救助が来ない可能性があるので夜目が効く効かないは死活問題なのだ。暗順応が終わるとしっかり物の輪郭が見えるようになる。

 

朝3時過ぎに船橋に上がる。天候は晴れ。そこにあったのは満点の星空だった。夜航海の楽しみの一つである。写真でお見せできないのがとても残念だ。ついつい見蕩れてしまうが、当直中なので夢中になってはいけない。

天文知識は皆無なので、あれがデネブ アルタイル ベガ と簡単にいかないのが残念だ。そもそもこの時期夏の大三角形は見えるのだろうか。

それでも一つだけ自分でもわかる星がある。東の空にひときわ白く輝く星がある。全天で一番明るい恒星、シリウスだ。滅茶苦茶明るい。

夜、海上で月を見ると月光が海面に反射して「月の道」を形成しているのが見える。これも海上ならではの景色で綺麗なのだが、

同じものがシリウスでも見られる。

船から見るとただの点にしか見えないシリウスだが、たしかに道を作っているのだ。明るすぎる。

 

明け方になり、月も昇ってくる。傍には火星と思わしき赤く輝く星がある。

夕暮れ時の事を「黄昏時」と言う一方、明け方は「彼は誰時(かはたれどき)」というそうだ。人の顔の区別が着きにくいことから名前が付けられたそうだが、船も似たようなものだ。

夜航海中は灯台の灯火が道しるべとなるため、意外と自分の位置がわかりやすい。しかし日出後は灯台も灯火を消し始めるため、灯台を目視できないと位置が把握できない。微妙に暗い中で航海しなければならず技術が必要とのことで、ヨンパー直は操船に熟練した一等航海士が担当する。

今日も練習船船橋では一等航海士の「あの船は何だ(彼は誰だ)」の声が飛び交う。

 

投錨したのは伊東の目と鼻の先。陸まで1マイルもない。相変わらず着岸していないが、尾鷲と違い普通に電波が入るので満足だ。ここではスカッツルに群がる実習生の姿は見られない。

部屋のゴミ捨てに外に出ると、伊豆急行線を走る電車の電笛が聞こえてきた。JR東標準のアレだ。東日本に帰ってきたことを実感した。

上陸まであと少しだ。

ポン丸のボンクから②

実習開始から1週間が経とうとしている。だんだん「調教」の成果が表れてきて、清掃や早起きにも抵抗が無くなってきた。

 

東京を発ち、尾鷲までやってきた。海岸線が複雑に入り組んでいる。山肌は海岸線まで迫り、街の明かりは湾奧のわずかな平地に見えるのみ。見渡す限り山地である。いかにもリアス式海岸といった風景だ。残念ながら紅葉には少し早かった。

湾奥には解体中の火力発電所が見える。火力発電所が稼働していた時はこの狭い湾に全長300m超の原油タンカーが入ってきていたらしい。にわかには信じがたかった。

 

陸は目と鼻の先だが上陸はできない。着岸すると金がかかるため錨泊する。逆に走り続けると燃料を食うため錨泊が多くなるのだ。最近になって排ガスの規制が厳しくなり、端的にいうと値段の高い燃料しか使えなくなってしまった。

船での実習が2年ぶりということもあり、勘がほとんど失われていた。それなりに揺れたが、久しぶりの揺れで 少し酔ってしまった。念のためアネロンを一錠キメた。

弊学の学生の間では酔い止めとして代々アネロンが推奨されている。実際前日ゲロゲロだった奴が翌日アネロンをキメてピンピンしていたこともあった。

そのためか実習生の間では酔い止めと言わずとも「アネロン」で通じてしまう。皆も酔い止めにはアネロンを使おう。海洋大生のお墨付きだ。

 

錨泊中、士官との交流のため班別懇談会というものを行った。お菓子や紅茶を出してもらって士官と仲良くなれるイベントだが、事件が起きた。

紅茶に入れる砂糖を用意してもらったが、砂糖ではなく塩だった。被害者多数。幸い僕はストレートで飲んでいたため被害を免れた。丁度レモンも用意されていたため塩レモンが作れそうだがチューハイは無い。船内は禁酒である。

会自体は終始和やかな雰囲気で進んだ。

僕が趣味にアニメ鑑賞と書いて「宇宙よりも遠い場所」をアマプラで観てますと言ったところ、その士官がよりもい*1のTシャツを着ていた。士官との距離が一気に縮まった瞬間である。その士官はその後別のアニメの話題で他の実習生と1時間近く語り合っていた。大学の少し上の先輩で内輪話も通じるし、勉強にも親身になってくれるし、いい士官と巡り合ったと思う。

 

...とここまでの内容を錨泊中に投稿しようと思ったのだが、

電波が!!安定して繋がらないのである!!

まじかよ〇天UN-LIMIT(ローミングなのでa〇回線)。陸地は目と鼻の先(1,2マイル先)に見えているのに...。

繋がる時もあるのだがアンテナが一本も立たない時間のほうが長い。振れ回りで陸地との距離が僅かに変化しているためだろう。

なのでこの記事が投稿されている頃には元居た仮泊地を離れて次の仮泊地にいるか、偶然電波を掴んだか、どちらかのはずだ。

やはり回線はd〇c〇m〇に尽きる。a〇回線、お前は駄目だ。

ポン丸のボンクから

日記というほどではないが、実習中のあれやこれやをつらつら書いていこうと思う。

 

タイトルから何を言っているのかわからない人が大半だと思うので説明すると、「ポン丸」は帆船日本丸の実習生の間での呼び名である。「ボンク」は実習生に与えられるベッドのスペースのことで、唯一のパーソナルスペースである。カーテン一枚隔てた向こう側は居室の通路だ。

僕は今、ポン丸のボンクでこの記事を書いている。

 

ボンクの広さは、縦190cmくらい、幅は横になって少し腕を広げたくらいだ。シングルベッド未満。狭い。高さも上体を90度起こすことが出来ないくらいだ。しかしこれが秘密基地感があって妙に良い。

 

海に出ると電波が拾えない。実習は基本沿岸航海なので拾えることもあるのだが、鋼鉄でできた船の中には電波は届かない。居室で電波を拾うためにはスカッツル*1の傍でスマホを構えるしかない。

この電波を求めてスカッツルに群がる実習生たちの姿が江戸時代の浮世絵にも描かれているのは有名な話だ。

また比較的陸地に近い所で錨泊していると電波が拾えるのだが、振れ周りによって居室が海側を向くと電波が入らなくなったりする。練習船あるあるだ。

しかし今年革命が起きた。隣の部屋の実習生の一人がスカッツルにSoftbank airを張り付けたのだ。彼は「居室にwifiを設置するのが夢だった」と語ったそうだ。

でもそれは隣の部屋の話。わが居室では電波を求めてスカッツルに群がる実習生の姿が見られる。かくいう自分もその一人だ。この記事はスカッツルから拾った電波で公開されていることだろう。(甲板に出れば電波拾えるのだが。)

 

実習は朝6時半の体操から始まる。一週間前まで夜更かしして昼までぐっすり寝ていた自分にとって辛い日々が続く。昼間の講義も眠い。

しかしこれは慣れの問題だ。少しすれば「調教」されていることだろう。

今年は例の流行り病の影響で予定がぐっちゃぐちゃだ。船内では常時マスクの装着を求められ、息苦しい事この上ない。しかし同期がいるおかげで精神的には苦しくない。

狭い船内でソーシャルディスタンスもあったもんじゃないが、ウイルスを持ち込まないことに重点を置き、感染拡大を食い止めながら実習を進めようと対策がなされている。

ちなみに着岸する晴海ふ頭は都心から物理的にディスタンスがある。余計なお世話である。

 

実船での実習は2年ぶり。ロープに触ったのも1,2年ぶり。ほとんど何も覚えていないが、勘を取り戻すためにもしっかり取り組みたいところだ。

消灯時間が過ぎているので寝ることとする。

*1:船によくある小さい丸窓。勝手に開けると怒られる。

推しを探す旅

Twitterで知り合いの近況見てるとよく「推しが...」ってツイート見かけます。

自分の周りは3次元の「推し」が多くて2次元の「推し」を押し出してる人ってあまりいないんですけど、そもそも2次元の女性キャラの場合は「嫁」って言い方しますかね。ちょっと懐かしい言い方な感じもしますが。

見てると推しのライブに行って楽しんでる人がいたり、ライブがコロナで吹っ飛んで悲しみに暮れている人がいたり。推しがいるおかげで人生楽しんでる人が周りにそれなりにいると自分にも推しがいたほうがいいんじゃないかと思ってくるわけです。

でもいないんですよね。「推し」って呼べる人。そもそも飽き性なのが原因かもしれませんが一つのコンテンツに熱中したことが無くて、感情の起伏も小さいので「推しが○○で泣いた」とかに共感できず、ちょっと疎外感感じることもあります。

一応最近好きだったピアニストがマネジメント会社とゴタゴタ起こして権利持っていかれて活動継続ができなくなったことがあって結構悲しみましたが、残念ながら推しと言えるほどその人の事を追えていた訳ではないし、ライブも1回しか行けなかったし、Twitterのフォロワーの面々を見てると半端な気持ちで推しと表現することにためらいを感じます。

 

もう飽き性な以上推しを見つけるのは難しいだろうし、無理に探すものでもないのかな、と半分諦めかけています。

飽き性の人間がどんな生活を送っているかと言うと、ある趣味Aに取り付いて、飽きてきたら別の趣味Bに取り付いて、さらに飽きてきたら趣味Cに...というのを繰り返します。そしていつか趣味Aに帰ってきます。つまり「浅く広く」趣味を持ってます。永遠のにわかです。

僕のように「浅く広く」趣味をやっていると弊害が出ます。人間関係が浅くなります。

他人と交流を深める時って趣味を切り口にすることがあると思いますが、その時に深い話ができない。結果として浅い人間関係になりがちな気がします。

人間関係が浅くなるとどうなるか。結婚式に人を呼べません。結婚相手に対して醜態を晒す羽目になります。

わざわざ惚気ている姿を見に来てもらうには相当の人間関係が必要なことでしょう。

一度クラスが一緒だったからとか、そんな理由で結婚式に人を呼んでいいものなのか、僕は疑問に思います。深い人間関係は必要です。

僕の知り合いの中でも仲のいい人は共通の趣味がある人が多いです。鉄道、船、音楽、水曜どうでしょう

言い方を変えてみると、結婚相手も「推し」です。僕のように飽き性で気が変わりやすく、一人の推しすら見つけられない人間は天涯孤独を覚悟すべきなのでしょう。

最近では結婚しない選択肢も増えてますがそれはそれ。僕も独身生活を想像したことがありますが孤独死すると結局周りに迷惑かけるので独身でいいって言ってる人はよく考えたほうがいいです。僕も答えは出てないです。

 

終わり方が思いつかないので僕自身が飽きないような推しが見つかればいいな、と願って筆を置くことにします。

推しに願いを。

電脳コイルの話

最近Prime Videoで電脳コイルを見返している。

地上波放送は2007年だから初めて観たのは小学生の頃らしい。当時は終盤のシリアス展開がトラウマになっていた。今でも鳥肌立つけど(主にこのBGM↓のせい)。

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なぜ見返すほどハマったのかを改めて考えてみた。

まず世界観。この作品の舞台は大黒市という一般的な日本の地方都市。そこに電脳メガネという架空の要素を加えただけのシンプルなものだ。

さらに電脳メガネというキーアイテムにも妙にリアリティがある。ARは最近研究されている分野だが、実用化に至るのはあと少し先の未来だろう。それも相まってこの作品の世界観を受け入れやすくなっているのかもしれない。とにかく突拍子のない世界観で飲み込みやすい。

 

次に物語の進行だが、序盤~中盤は主人公たちの日常を描いていたのが終盤になるにつれて自然とシリアスSFに変化している。これは26話という2クール分の時間を使ったからできることであろう。

2007年のアニメがどうだったかは覚えていないが、今のアニメは12話で1シーズンと区切るのが一般的で、1クール放送して好評だったら「2期製作決定!」と打ち出すのが多いように感じる。一部のアニメは2クールぶっ通しで放送することもある。

そのため1クールアニメは12話の尺で世界観を説明し、人物を掘り下げて、一度物語の山場を作らなければならない。2クール目も同じ流れだ。

その点電脳コイルのような、初めから2クール分を使って放送するアニメは終盤に向けて大きい山場を作ればよく、世界観の説明や人物の掘り下げにも尺を割ける。

商業目的でないNHKだからできる芸当とも言えるが、これが上手く効いているのだと思う。

時間のない現代人に冗長と言われればそうかもしれないが、子供の頃の僕は暇だった。時間を持て余していた僕の辞書に「冗長」という言葉は無く、話が面白ければそれでよかった。

確かに忙しいと26話も観る時間が無い。僕もストーリーと設定は知ってるから重要なところだけかいつまんで観てる。とはいえ日常系アニメからシリアスSFへの変化が見事な作品なので一度全編通して観るのが良い。

 

また設定上「それってどうなの?」と思うところがある。

主人公のヤサコ、電脳メガネをハックする同級生たち、そして大黒市を引っ掻き回すキーパーソンのイサコ、全員小学6年生なのだ。今になってプログラミングを義務教育に盛り込む議論がされてるけど、電脳メガネを使いこなし、高速タイピングをし、ハッキングする小学生はやはり想像しづらい。

せめて中学3年生でもいいんじゃねとしばしば思うけど、そうするとイサコがただのブラコン中学生になってしまうので精神的に幼い小学生が適してるのかな...。

まあ物語で年齢は重要な要素じゃないので気にしなくていいかも。

 

余りある尺を使って上手く物語がまとめられた、SFアニメ史上でもかなりの完成度のアニメなことは確かで、僕みたいなハマる人にはとことんハマるアニメだな、と。

リアタイできたのは本当に運が良かったと思う。