youの手記

隙自語(隙の無い自分語り)

推しを探す旅

Twitterで知り合いの近況見てるとよく「推しが...」ってツイート見かけます。

自分の周りは3次元の「推し」が多くて2次元の「推し」を押し出してる人ってあまりいないんですけど、そもそも2次元の女性キャラの場合は「嫁」って言い方しますかね。ちょっと懐かしい言い方な感じもしますが。

見てると推しのライブに行って楽しんでる人がいたり、ライブがコロナで吹っ飛んで悲しみに暮れている人がいたり。推しがいるおかげで人生楽しんでる人が周りにそれなりにいると自分にも推しがいたほうがいいんじゃないかと思ってくるわけです。

でもいないんですよね。「推し」って呼べる人。そもそも飽き性なのが原因かもしれませんが一つのコンテンツに熱中したことが無くて、感情の起伏も小さいので「推しが○○で泣いた」とかに共感できず、ちょっと疎外感感じることもあります。

一応最近好きだったピアニストがマネジメント会社とゴタゴタ起こして権利持っていかれて活動継続ができなくなったことがあって結構悲しみましたが、残念ながら推しと言えるほどその人の事を追えていた訳ではないし、ライブも1回しか行けなかったし、Twitterのフォロワーの面々を見てると半端な気持ちで推しと表現することにためらいを感じます。

 

もう飽き性な以上推しを見つけるのは難しいだろうし、無理に探すものでもないのかな、と半分諦めかけています。

飽き性の人間がどんな生活を送っているかと言うと、ある趣味Aに取り付いて、飽きてきたら別の趣味Bに取り付いて、さらに飽きてきたら趣味Cに...というのを繰り返します。そしていつか趣味Aに帰ってきます。つまり「浅く広く」趣味を持ってます。永遠のにわかです。

僕のように「浅く広く」趣味をやっていると弊害が出ます。人間関係が浅くなります。

他人と交流を深める時って趣味を切り口にすることがあると思いますが、その時に深い話ができない。結果として浅い人間関係になりがちな気がします。

人間関係が浅くなるとどうなるか。結婚式に人を呼べません。結婚相手に対して醜態を晒す羽目になります。

わざわざ惚気ている姿を見に来てもらうには相当の人間関係が必要なことでしょう。

一度クラスが一緒だったからとか、そんな理由で結婚式に人を呼んでいいものなのか、僕は疑問に思います。深い人間関係は必要です。

僕の知り合いの中でも仲のいい人は共通の趣味がある人が多いです。鉄道、船、音楽、水曜どうでしょう

言い方を変えてみると、結婚相手も「推し」です。僕のように飽き性で気が変わりやすく、一人の推しすら見つけられない人間は天涯孤独を覚悟すべきなのでしょう。

最近では結婚しない選択肢も増えてますがそれはそれ。僕も独身生活を想像したことがありますが孤独死すると結局周りに迷惑かけるので独身でいいって言ってる人はよく考えたほうがいいです。僕も答えは出てないです。

 

終わり方が思いつかないので僕自身が飽きないような推しが見つかればいいな、と願って筆を置くことにします。

推しに願いを。